タイズプレゼンテーション

ローズ語り 史上最強助っ人のホンネ~今だから語れる"あの時"のこと

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日本との出会い

2016.03.02 UPDATE

サンダーバーズと親友ヨシオカのお陰で6年ぶりに日本に戻ってくることができた。何度も繰り返すが、47歳になった僕に声をかけてくれたことを本当に感謝している。そして大好きな日本が、以前と変わることなく僕を迎え入れてくれたことも本当に嬉しかった。

だが僕は昔から日本をこよなく愛していた、というわけではないんだ。

1996年にバファローズと契約して初めて日本の地を踏んだ時は、日本のプロ野球にも日本という国自体についても何の知識も印象も持っていなかったし、そこには悲壮感しかなかったのが本当のところだった。

前年の1995年は僕にとって不甲斐ないシーズンだった。というより、メジャーリーグに在籍していた頃の僕はずっと同じような状態が続いていたと言うべきかな。その年もメジャーに定着できずに、メジャーとマイナーを行ったり来たりしていた。1990年に21歳でメジャー初昇格してからというもの、その繰り返しだったんだ。僕が毎日出場できる場所はメジャーにはなかった。1995年のシーズンが終了した頃には、もう現役を引退し故郷に戻ってファイアーマン(消防士)になろうかと考え始めていたくらいだった。

僕のエージェントから連絡が入ったのはそんな矢先だった。彼はいいニュースと悪いニューがあると知らせてくれた。僕はとにかくいいニュースを聞かせてくれと答えると、彼は僕を毎日出場させたいというチームがみつかったと教えてくれた。だがそのチームはメジャーのチームではなく、日本のプロ野球のバファローズだということだった。それが彼のいうところの悪いニュースというわけさ。

でもその時の僕にとって、場所などまったく関係なかった。

これが野球選手として成功できる最後のチャンスだと思っていた。そしてすぐに日本行きを決めた。もちろん生まれた国ではない日本行きは自分の第一希望ではなかったし、できればメジャー選手として少しでも長くプレーしたかった。だが当時の僕は若く、そしてそれ故の甘さがあった。今だからこそ断言できるが、メジャーリーグに定着できるチャンスを与えてもらいながら、それを実現するための努力を怠っていたんだ。

だからこそ日本行きのチャンスは絶対に手放したくなかった。行く前から、とにかく少しでも長く日本でプレーできるように、未経験の『野球』を学ぶ最善の努力をしていく決意を固めていたんだ。そんな決意を胸に秘め太平洋を渡った。そして僕は、1年目から一生懸命にそれを実践していけたと思う。