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想像を絶した日本野球
2016.03.16 UPDATE
野球人生のすべてを賭けてバファローズと契約した僕は、1996年に日本の地を踏んだ。少しでも野球を続けるためにも何でもやるつもりだったし、以前にも話したように当時の僕は日本の野球について何の知識も持ち合わせていなかったので、一から日本の野球を勉強する覚悟だった。
でも最初から上手く行ったかといえば、そうではなかったんだ。初めて体験する日本の野球は想像を超えるものだった。今でもキャンプ初日の衝撃は鮮明に覚えているよ。
当時のバファローズはサイパンで第1次キャンプを行っていた。2月でも十分に暑くて練習開始時点で35度は超えていたと思う。
最初はウォーミングアップからだった。もちろんそれはメジャーも一緒だ。ただ自分の感覚では15~20分程度だろうなと思っていたんだけど、実際はウォーミングアップだけで45分以上も費やしたんだ。いきなり“これを毎日やるの?”って驚くしかなかったよ。
ウォーミングアップを終えると、今度はキャッチボールをした後、内野手と外野手に別れて守備練習が始まった。ここでも守備練習だけでみっちり3時間やり続けたんだ。守備練習後はもうランチを食べる時間になっていた。僕はこの日の練習はもう終了したと思っていたんだけどね。
でも、もちろん練習は続いた。今度は打撃練習だ。まずケージが2つ用意されていることに驚いた。メジャーでは1つが当たり前のことだからね。打撃練習では打者4人一組で4つのグループに分けられ、ケージごとに1人20分の時間が与えられた。つまり4選手が40分間持ち回りで打撃練習を繰り返すということだ。これまで僕が経験した打撃練習は、1グループ4人は同じだけど、時間は7分間が普通だった。僕の野球人生で40分間も打撃練習をやったのは間違いなく初めての体験だった。しんどかったよ。
そして1日の練習がようやく終了した。もう16時を回っていたと思う。僕は初めて体験した朝から晩まで練習し続ける日本のキャンプに驚きを隠せなかったし、身体もメンタルも疲労の局地に達していたよ。
ホテルの部屋に戻った僕は、すべての灯りを消してベッドに潜り込んだ。まだ10時近くだったが、とにかく寝なきゃまずいと感じていたからだ。それでもなかなか寝付けなかった僕は、天井を見つめながら“一体僕はどうなるんだろう”と不安を抱かずにはいられなかった。
その不安は外れていなかった。翌日からまさに自分の人生で最も過酷な2週間を過ごすことになったんだ。