タイズプレゼンテーション

ローズ語り 史上最強助っ人のホンネ~今だから語れる"あの時"のこと

サイパンの第1次キャンプを終えた僕たちは日本に戻り、宮崎県日向市で第2次キャンプに突入した。場所は変わっても練習の厳しさはまったく変わらなかった。

特に、佐々木監督の僕に対する風当たりは相当に厳しかった。サイパンではまだ自分らしいバッティングを披露できていなくて、とにかく監督からもっとバットを振り込めとか、いろいろ言われ続けていたよ。

そんな状況で第2次キャンプも1週間が経過した頃だった。その日は翌日がオフになっていて、いつものように9時から4時までの猛練習を終えた僕は明日やっと休めることが嬉しくて堪らなかった。でも、みんなと一緒にホテルに戻ろうとしたら、監督から僕一人だけ居残り打撃練習をしろという指示が届いたんだ。もちろんその指示に従ったよ。

ところが、だ。自分の中では10~15分程度の練習だろうと想像していたんだけれど、通訳の人からなんと1時間と聞かされた。思わず固まってしまった僕は改めて通訳に聞き直したけど、それで間違いないって言われてしまったんだ。それだけじゃないんだ。しかも200個のボールが入ったバケツ2個分を使い、トスバッティングかティーバッティングをやれということだった。もう驚きしかなかったよ。

結局通訳の人と4人のバッティング投手に残ってもらい、与えられたメニューをこなし続けた。だが僕の心は完全に打ち砕かれていた。自分の野球人生で最悪の1日だったと悲嘆に暮れる一方で、引退してヒューストンに帰ろうと考えながらバットを振っていたくらいだからね。

何とか居残り練習を終えホテルに戻ったのは6時だった。チームの夕食は7時だったんだけど、もう身体をちょっとでも動かすのもしんどくて、通訳に夕食は要らないと伝えてそのままベッドの中に潜り込んでしまった。結局翌日のオフもベッドから出ることもなく1日中身体を休めるしかなかったんだ。

ベッドの中で、日本まで来て何をやっているんだと自問自答したよ。だけど今だから言えることなんだけど、この辛い体験はこれから僕に巻き起こる日本での素晴らしい経験の始まりだったんだ。実はこの居残り練習のお陰で、身体が疲労した時にどうやって腕を使ってバットを振ればいいのかを理解するきっかけになったんだからね。

でも、当時の僕はとにかく毎日必死の思いでキャンプを過ごしていたよ。