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実践スタート
2016.05.11 UPDATE
大変な思いをしながらも何とかキャンプを終えた僕は、いよいよ実戦に入っていった。アメリカの野球しか知らなかった僕にとって毎日猛練習させられたキャンプの時と同じように、実戦においても大事なのは学んでいくことだと思っていたんだ。
何度も繰り返しになってしまうけど、これがプロ野球選手として成功し、これからも野球を続けていける最後のチャンスだと言い聞かせて日本に乗り込んできたし、アメリカの野球と日本の野球は決して同じだとは思っていなかった。とにかく日本の野球を吸収しようと必死だったんだ。
外国人選手の中には時々、アメリカの野球より日本の野球の方がレベルが低いなんて考えている選手もいるようだけど、当時の僕は日本の野球、そして選手たちを尊敬していたし、絶対にみくびることはなかった。とにかく打席に入る時は常に、これまで対戦したこともないような最高の投手たちと対峙する心構えでいたんだ。
僕にとって日本での最初の試合はジャイアンツとのオープン戦だった。相手投手は斎藤さんで、当時のエース投手だ。打席が回ってきたのは2回1死だったはずだ。
初球、2球目と真っ直ぐの後、3球目がチェンジアップだったのを今でも憶えている。当時の斎藤さんは日本球界きってのチェンジアップの使い手だったからね。結局フルカウントの末ピッチャーゴロに終わったよ。
そして公式戦最初の試合は西武球場で行われたライオンズ戦だった。当時のライオンズは打者には秋山さん、投手も工藤さんや郭さんらが揃う投打ともに力のある素晴らしいチームだった。とにかく強かった。
その日の先発は新谷さんだった。第1打席は三振に倒れた後、第2打席はなんとデットボールだった。腕にぶつけられたんだ。新谷さんが故意に僕にデットボールを投げてきたのかどうかは未だにわからないけど、めちゃめちゃ痛かった。僕の中で怒りがこみ上げていたけど、とにかく冷静にならなきゃと自分に言い聞かせていたよ。
そして迎えた第3打席だ。自分が味わった痛みを相手に絶対に見せつけてやるんだという気持ちでバッターボックスに入っていた。1死1、3塁のチャンスだったしね。2-2から内角の真っ直ぐだった。思い切りバットを振ると、打球は新谷さんのキャップをかすめるようにしてセンターに抜けていったよ。これが記念すべき日本での初安打になった。しかも先制点を叩き出す打点も記録できた。チームも2-0で勝つことができたし、まずまずのスタートを切ることができたと思う。